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つながり

君は僕のことなんか忘れてしまう。

そう、きっと明日には。

僕は君のことなんか忘れてしまう。

そう、きっと明日には。


今日、君は僕に言った。

「大丈夫?」

そして、僕は君に言った。

「うん、ありがとう。」


ふたりは、笑った。

そして、泣いた。


あまりにも、優しい気持ちになったから。

とめどなく、切ない気持ちになったから。


君は僕のことを思い出せる。

そう、いつでも。

僕は君のことを思い出せる。

そう、いつのときも。


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2008/12/03(水) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

ある理想的な休日についての物語

起きたのは10:30。
昨夜は、休日の前日でビールを飲み、リビングの座椅子で一眠りしたあと、3時くらいまで本を読んでいた。
よくあること。言ってしまえばクセのようなものである。

外は曇り。家の中はうすら寒い。
うすら寒いということばは、自分にまとわりついて離れないような、そしてじわじわと時間をかけて弱らせていくような、そんな寒さを指しているようで、とても嫌いだ。

さっきまでの布団の温もりを一瞬にして失った僕は、この冬にむけて買ったガスヒーターのスイッチを入れる。
すぐに暖かくなるという点では、とても優れていると思う。

たわむれ程度にギターを弾く。

ふと思い出す。今日は旅行代理店に行くつもりであったのだ。

代理店の場所を調べ、そのついでに昼食と買い物をすませようと考えた。
昼食は、もう一度行ってみたいと思っていたらーめん屋に決めた。

出発前に筋トレ。
シャワーを浴びて(ついでに風呂掃除もして)、車で出かける。

結局らーめん屋は混んでいたので、行き先を牛丼屋に切り替える。
期間限定の定食がうまい。

代理店までは少し距離がある。
カーステレオからはThe Beatlesの『Rubber Soul』。お気に入りは、Norwegian WoodとNowhere Man。

途中、この間数年ぶりの再開を果たした相手について考えていた。特にその褒められない人格と彼の行く末について。
それはおせっかいという類のものではなく、もっとシンプルにそしてエゴイスティックに、自分をその人物と対比させていただけのものであった。

その延長なのだろうか。
僕の思考はまた別の人物のことについてへと移行していった。
この前の金曜日、僕に大事な一言をくれた、とても大切な人について考えた。
そして切なくなった。

フロントガラスには小さな雨粒。
動かしたワイパーが、ぼやけた視界を人工的にこじあける。

代理店での用事を済ませ、本屋へ向かう。

17:00。もう外は暗い。
村上春樹と白石一文の小説を数冊買って、家路に着く。

18:10、この文章を書く。

この後、さっき買ってきた中でも一番気になっている村上春樹の本を少し読み、
妻が仕事から帰ってくるのを待って、夕食を食べに行く予定だ。
カーステレオからは、妻の好きなジャズが流れていることだろう。



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2008/11/30(日) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(1)

ある特別なシーン

夕暮れの城下町を描いた、ファンタジーの世界。行き交う人々。そんなCG。

川のほとりに建つ、ひかえめな城。風になびく草がやわらかく囲む。そんな写真。

大洪水の後、人々が強く生き抜こうとするようすを描く。そのシンボルは青空。そんな絵画。


他の何かとは明らかに異なっていて、僕自身に強い感情の揺さぶり(わくわくと言うときっと一番近いと思う)を与えてくれる、そんなシーンたちが確実に存在している。

何がそれをもたらしているのか、それは曖昧なままで、ひどい話だが見当すらついていないのが現状である。
多分僕の心(ここでいう心とは、これまでに様々なものが重なって絡み合って作り上げられてきた僕自身の人格や人生そのもののことを指すことにしたい)と、とてもとてもよく共鳴し、より澄んだ良い音をより広範囲にわたって、僕の中に響かせているのだ。

そして、そのシーンともたらされた響きから得た感覚は、僕自身を知り、あるいは僕自身の行動をより具体的に決定するための、とても重要なファクターなのだと思う。



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2008/11/29(土) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(2)

表舞台には出にくいが、それはとても楽しいのです

表現というものを無数のことばでとり行うのが、小説を小説たらしめる大きな特徴であると言っていいのではないでしょうか。
ことばというものは、ある状態や物体を強力に定義するものであり、その点で絵画や音楽とは大きく異なると思います。必然として読み手はそこで定義されているものに、自己の解釈をひきずられがちになります。

僕が好きな小説は、そんな強力なちからを持ったことばが無数に連ねられているにもかかわらず、考える余地が適当な広さ残されており、その考えた結果としての答えが自分と他人で微妙に違うという可能性が高いタイプのものです。

そうした小説に、僕は確かにこころを揺り動かされるのです。

僕の中核部分にいつの間にか絡み付けられた糸が、少し離れたぼんやりしたところから人型の輪郭でしか確認できない誰かにクイクイと引っ張られている、そんな感じです。
糸が絡み付いていなくては当然だめだし、絡み付いていたとしても一体何者が引っ張っているのかが全く分からなければ、それも望ましくはない。また、何が引っ張っているのかがすぐに明らかになってしまうのも面白くないのです。

そして、同じ小説を読んだ気の合う誰かとビールなど飲みながら話をして、細かい部分での解釈の違いなんかについてソフトに議論するのが、とても楽しいのです。



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2008/11/09(日) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

学校へ行くとき、毎朝必ず玄関まで見送りに来てくれた。

好きな食べ物をがあれば、必ずそれをたくさん盛り付けてくれた。

習い事の帰りの時間をいつもちゃんと把握してくれていた。

当時流行っていたプラモデルを夜遅くまでかかって仕上げてくれた。

夏休みの自由研究を一緒に考えてくれた。


そのとき、そこにどんな意味があるにしろ、こうした思い出たちが人のこころの根っこの部分をつくるのだろう。

そして時を経て、「優しさ」や「思いやり」が芽を吹き、花を咲かせるのだ。


少なくとも僕は、今自分に咲いているその花の存在を、次第に忘れがちになっている気がしている。

敢えて何かのせいにするならば、その対象は日常。

日常という名前の、無邪気で悪意のない無個性に、その花の存在をそっと隠されている。

何かのシーン(それは映画であったり、音楽によってもたらされたイメージであったり、あるいは現実であったり)に接したとき、胸が痛んだり、締め付けられたり、騒いだり、そして自然と涙したり。

それはサインなのだと思う。

その花が、まさにそこに咲いていることを忘れないようにと僕に訴えている、サインなのだと思う。

そしてそれは僕が、生涯のあいだ忘れてはならないもののうちのひとつなのだと思う。



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2008/11/08(土) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

子どもと大人

セルフコントロール。

毎日体重をはかって健康を維持したい。でも体重計がすぐに取り出せないと面倒になってしまう。
だから、体重計の上には何ものせないでしまっておく。

毎日何かの勉強をしてスキルアップをしようと決めた。でも教科書が目に見えるところにないとすぐにだらけてしまう。
だから、常に座る場所の目の前に置いておく。そしてすぐ手にとれるようにしておく。

思いついたことをいつでも記録できるようにしたい。でも、きれいな字で書いておかないとあとで見たとき分からず、そのうち続かなくなってしまう。
だから、表紙が固いメモ帳を用意して、表紙を台紙にしてきれいな字が書けるようにする。


まずは自分の性格や特徴を把握し、おそらくそこに起因しているであろう失敗要因を探す。
そして、その性格や特徴を変えるのではなく、その性格や特徴を持っていても行動が遂行できるように、意識的に環境に変化を加える。それをより具体的なレベルにまで掘り下げて行うこと。
これがセルフコントロールの主たる部分のひとつだと、僕は考えています。


そして僕は、子どもと大人の大きな(決定的なと言ってもいいかもしれない)違いは、ここにあると思っています。
大人はセルフコントロールが出来るだけの能力が求められるし、それをすべきなのでしょう。
子どもはそれができない。自分の性格や特徴がまだ未発達なのだから当然のことですし、より本能的に生きるのは子どもだけに許された特権でもあります。
ただし、成長過程の中で、セルフコントロールの方法を大人からきちんと教わっていく必要があるし、大人はきちんと教えていく必要があると思います。
よりよく生きるために。



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2008/11/03(月) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

ご心配をおかけいたしまして

最近、ブログ内で死生観のようなものを扱った内容が多いことから、皆様に変なご心配をかけてしまっているのではないかと思い立ちまして、このような記事を書かせていただきました。

結論から言いますと、僕自身はいたって元気であり、毎日それなりに健やかに過ごしております
(もちろんストレスや小さな体調不良はありますが)。

このような内容を扱うのは、単純に今現在の僕自身がそうしたいからであり、そうせざるを得ないもの(それが何ものかは僕自身にもよく分かりません)があるからだと、ご理解いただければ幸いでございます。

ご心配いただいた皆様には、ご迷惑をおかけいたしました。
今後ともごひいきに、よろしくお願いいたします。



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2008/11/01(土) | このブログについて | トラックバック(0) | コメント(0)

何を考えるのか

考えても意味のないことを、そうだと知るまで考えることは、意味のある行為である。

それを知った後、さらに考えることは、あまり意味のある行為とは言えない。

せっかく考えるのならば、意味のあることを考えていきたいと、強く思う。



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2008/10/31(金) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

ふたりの積み木職人

ある世界に、積み木職人という職業があった。
普段は、販売用の積み木を手作りして出荷している。
量産されているものとは違い、色、つや、形、硬度、滑らかさなど、ある種の芸術性をそこには保っていた。

そのはず。積み木職人になる者の多くは、アーティストなのである。
ちょうど彫刻家のように、何かを積み木で表現することこそ、この世界における彼らのアイデンティティであった。

そのアイデンティティが社会的に認められる、いわゆる芸術祭のようなもの(よい作品には評価が与えられる類のもの)が、その世界にはあった。
もっとも有名な芸術祭では、立方体、直方体、四角錐、三角柱など、規定された大きさと形の積み木を用いて作品を作るという課題が課されていた。


ふたりの積み木職人がいた。

ある積み木職人は、ひとつひとつの積み木を丁寧に丁寧に作り上げていった。
使う木の種類、色、形、積み上げる際の角度、その全てに洗練を求めた。
果てしない時間がかかり、納得のいかない時には作り上げたもの全てを解体し(というよりは崩壊させ)、
新たなものを作り出した。
結果的に、思うようなものを全く作り出せないときもあった。

もうひとりの別の積み木職人は、彼とは違っていた。
廉価な木を使い、
思った色が使えないときには、別の色で代用し、
見えない部分では隙間もあった。
(それらは大会の規定には違反しないものであった。)
とにかく、思い描いたものをまず形にしようとした結果であった。

その大会で高い評価を得たのは、後者の別の積み木職人のほうであった。
そしてそれは、その次の大会でも、そのまた次の大会でも、同じであった。


前者のある積み木職人は、「なぜ、あんな作品が評価されるのだ。なぜこんなにも緻密に作っている自分の作品は評価されないのだ。」と失意のうちに寿命で死んだ。

後者の別の積み木職人は、大会で評価を得たことを自身の誇りとし、最後に自分の人生を大いなる笑顔で振り返った。安い木を使ったこと、ある部分に思い描いた色を使えなかったこと、見えない部分に隙間があったことなど、最後までほとんど気にすることなく、寿命で死んだ。


ふたりの間には決定的な違いがあったわけであり、それに対してこの世界が与える評価にもまた決定的な違いがあった。すべて含めて、この世界の掟のようなものであった。
それは確実にそこに存在し、彼ら(積み木職人自身と評価する側)を無言のうちにある種の定義の中に押しとどめるものなのだ。

そしてそれは、今日もまたある世界(おそらく人々はそれを現実と呼ぶ)のなかで、同じく機能しているのである。



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2008/10/26(日) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

崩壊

あなたと僕、そこにある違いをこんなにはっきり感じているのに、

ぼくはそれをことばで説明することができない。

今の君のことば、そこにある流れをこんなにはっきり感じているのに、

ぼくはそれをことばで説明することができない。


なぜ。

なぜ、こんなにもことばに詰まるのだろう。

なぜ。


ことばに詰まることが原因で、ことばを発している自分が信じられないのか、

ことばを発している自分が信じられないから、ことばに詰まるのか、

それは分からない。

そしてその円環論の中で、僕は自分への信頼を失っていく。


自分のことばが信じられない。

ことばによる自分の思考が信じられない。

それらの思考を共有することで成立しているであろう人間関係が信じられない。

信じられない。


僕の住む世界が霞む。

その輪郭を、徐々に失っていく。

その中で、僕は位置を失う。

ひどくぼやけた場所に立っている。

いや、というよりはただ存在だけしている。

原始的な知覚のみを頼りに、ぼくは自分としてのまとまりを必死で保っている。



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2008/10/25(土) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(2)

黄色

最近、ふつふつと楽しくなってきているテコンドー、先日昇級審査を受けてきました。

何とか合格。

帯が白から黄色に。

最近は、自分自身の得意・苦手や必要な筋肉の部位、そしてそのためのトレーニング法など、曖昧なままだけど、でもそこに輪郭が存在していることが何となく分かってきている感じで…この感じをふわっと昇華させてさらに上の帯を目指したいです。

それにしても最近強く感じ、そして憧れるのは、黒帯(有段者)の方々の洗練された精神力です。
自分の練習がままならない状態でも、常に周囲を見回して下の帯の人のためになることを模索してくれている心配り、いつか自分もそうなれたらなぁ…と、三十路を前にしてまた憧れを作ることができました。
幸せなことです。



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2008/10/23(木) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

走れ赤鉛筆

僕の読小説歴はまだかなり浅いほうです。しかも電車の中でくらいしか読んでいないので、なかなか読み進みません。
しかし、小説の中には、僕自身に隙間なくぴたりとくっついて、結果、至極当然のものとして僕自身となっていく(その理由は定かではない)ような表現が、たくさんあります。
そのことには気づけるようになってきました。

僕は最近、電車の中で小説の紙面に赤鉛筆を走らせています。
何かを感じさせてくれる表現に出会ったら、すぐに赤鉛筆で線をひきます。
そして一旦本を閉じ、少し上を見上げて、しばらくの間沈黙し、
赤く染まった部分について思いと考えを巡らせます。

考えがまとまらないときもたくさんあります。
でも、まるで好き勝手散らかった子どもの遊び部屋から洗練された熟年のリビングルームへと時を飛び超えたような、そんなこころのまとまりを与えてくれるようなときも、同じくたくさんあります。

小説を読みながら赤鉛筆を持ち、そしてしょっちゅう本を閉じて上を見る。
傍から見ると、多分に奇妙な光景かもしれません。

でも、おそらく僕はこれをやめないし、やめられないと思います。


最後に、初めて赤鉛筆を走らせた表現を。

村上春樹著 『スプートニクの恋人』 講談社文庫 P202 より
“理解というものは、常に誤解の総体に過ぎない。
それが(ここだけの話だけれど)わたしのささやかな世界認識の方法である。”



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2008/10/21(火) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

ブログを書くことについての考察

今現在、この『ヘドロの中のジーニアス』の他に、『街角交差点』というブログを書かせてもらっています。

『街角~』では、日々のことをありのままに綴る、いわゆる日記というものを、
『ヘドロ~』では、感じたこと・思考したことをより自由に好きな表現で綴る、強いて定義するならば一種の作品的な要素を持った文章を、

書いていきたいと思って開設した次第でした。


しかし、ある共通点から見れば、それは言うまでもなく同じ性質のものでして、つまり

世界というものが、僕自身というフィルターを通して、どのように意味付けられ、価値付けられ、そして表現されるのか

全てはこのルートをたどって、文章(ことば)という形で表現されたものなのだという考えが、自分の中に強く浮上してきたのです。


今回、この考えにともなって、ブログの形を少し変えさせていただくことにしようと思います。

まず、『ヘドロの中のジーニアス』をメインブログにして、『街角交差点』を一旦更新停止とさせていただきます。

次に、書き方の基本的な信念についてなのですが、これまでは、先述の“僕自身というフィルター”が一体どういうものなのか、それを知るために日々のことを記録する外部記録媒体(ログ)としての意味合いが強いものでした。
しかし、多くの人の目に触れるものである、そして何よりやはり多くの人に読んでほしいという思いがある、ということについて考えた結果、ひとつひとつが分かりやすさ、ユニークさ、惹きこむもの、完結性等を持った作品(ワーク)であることが望まれるのではないか、という結論にいたりました。

それにともなって、ブログ内のカテゴリを基本的には“ワーク”のみとし、他には、今日の記事のようなインフォメーションを書く場所として“このブログについて”を設けることにしました。


以上、ブログを書くということに関して考えた結果からの答えです。
(ことばだけに限らず)表現するということの意味について、自分の中ではこれからもまだ考え方が変わる可能性があり、そのときにはまた今回のように表現方法が変化して、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞ長い目で見守ってやってください。

では、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!



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2008/10/19(日) | このブログについて | トラックバック(0) | コメント(0)

心地よい風が吹く、素晴らしい秋の午後だった。

さっきまで雨が降っていたのだろう。水溜りがその青い空を切り取って揺れていた。

プラットホームで電車を待つ人々。笑っていたり、仏頂面だったり。

ただ、そこに人が居るということを、いや、人生があるのだということを感じ取るのには十分な光景であった。


電車の中で、僕は思いを寄せた。

外に鉛色の海を見ることが出来ること。

心地よい風を感じることが出来ること。

取るに足らないことで腹を立てることが出来ること。

自分にとって鏡のような存在の友と議論することが出来ること。

誰かを愛しいと思って抱きしめることが出来ること。


ただ一瞬だけ、この世の全てが愛しいようなそんな気分に浸った。

そして分かった。ここにもひとつ、大切な人生がしっかりと存在しているのだということが。


僕は、この心地よい『生』に、まだもう少しだけむさぼりついていたいと、そう思った。ただただ思った。

生きていることがどんなに素晴らしいことなのか、

生まれてきたことがどんなに素晴らしいことなのか、

ただただ、そのことについて考えた。


様々なシーンが流れ込む。とめどなく。

それをうまく飲み込むことの出来ない僕。

でも、たどり着いたシンプルな答え。

ただ、生きるのだ。



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2008/10/06(月) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(1)

今日、詰め込んだことば

あなたは舞い降りたばかりの僕に、オレンジ色のリュックを渡した。

そんなに大きくなく、でも小さくもなく、表側に小さなポケットがふたつ付いた、

とても鮮やかなオレンジをした、でも何故か少しだけ使い古されたリュック。

あなたは何も言わなかった。何も言わずに僕にそれを手渡した。

初めての荷物は、多分「僕の名前」。

それから僕は、ずっとそのリュックと一緒だった。

そのリュックに、色々なものを詰め込んだ。

時には乱雑に、時にはそっと場所を選んで。

ある時、僕はそのリュックの色を嫌がった。

みんなと違う色だったから。

ある時、僕はそのリュックの形を嫌がった。

ポケットがふたつしか付いていなかったから。

ある時、僕はそのリュックの大きさを嫌がった。

もっともっと入れたいものがあったから。もっともっと入れなくてはならないものがあったから。

でも知っていた。本当は知っていた。そして気づかないフリをしていた。

代えのリュックなんてない。

そして、もうひとつ、知っていた。本当は知っていた。そして気づかないフリをしていた。

そのリュックも、リュックに入れたものも、全てを肯定してくれる、強くて大きい存在。

僕にリュックを手渡してくれた、あなたの存在。

ありがとう。

今日は、精一杯の気持ちで言ったそのことばを、リュックに詰めた。



いつの日か、僕は新しいリュックをどこかで手に入れるだろう。

それは僕のオレンジに似た色で、ポケットがふたつかそこらついていて、ふつうくらいの大きさで、

そして何故か少し使い古されている。

それを、舞い降りた君に手渡すのだ。

そして、あなたが僕にしてくれたことと同じことをしていきたいと、強く願うのだ。



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2008/10/04(土) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

波紋

午後4時。夏の田舎道。一人旅の途中で、僕はとある温泉宿に立ち寄った。
周囲に建物はほとんどなく、横には川が流れていた。それなりに大きな川で、その水の音は少々耳につく。
玄関の横の檻には、立派な孔雀を飼っていた。

特に予約は入れていなかったのだが、受付の中年男性にきくと、すぐに部屋を用意し、愛想よく案内してくれた。妙に頬骨の出っ張った男であった。

ひととおり館内の説明を受け、僕ひとりになると、然るべき静寂が訪れた。
誰もいない部屋、聞こえるのは川の流れる音だけ。
僕は自然と足を大浴場へと向けていた。

脱衣所のかごから見るに、利用者は他にはいないようだった。
入り口の引き戸をあけると、白い湯気と差し込む午後の光が目に痛いほど満ちていた。
しかし、他に人はいなかった。

ぼくは体を洗い、ゆっくりと湯船につかった。少しぬるい。が、熱がりな僕にはちょうどいい温度だった。
獅子をかたどった注ぎ口からは、湯は流れていなかった。時間帯の問題だろうか。

湯の表面は驚くほど平らだった。外を流れる川の音と、まるで別個の世界の持ち主であった。
ぼくはいたずらに、人差し指で小さな波紋をつくってみた。
僕の波紋はすぐに消える。
もう一回作ってみた。
すぐに消える。
今度は腕を使って大きな波紋を作ってみた。
さっきより長い時間をかけて、遠くまでうねりが届く。そして、浴槽の壁に反射した波紋が別の波紋を作り出す。
でも、すぐに消える。
そしてまた驚くほど平らな表面がかえってくる。

他の人がよくやるように、お湯につかって思考を停止させながら、僕は人の生き死にをそれに重ねてみた。
生きている間に、小さな波紋を起こす人が居る。それは好もうと好まざろうと。
生きている間に、大きな波紋を起こす人が居る。それは好もうと好まざろうと。
その波紋は何かに影響を及ぼして別の波紋を呼ぶ。それは好もうと好まざろうと。
でも、死んでしばらく経てば、また元通りなのだろう。
あのおどろくほど平らな世界が、かえってくるのだろう。
おどろくほど簡単に、誰かに忘れられてしまうのだろう。

僕は部屋に戻り、川の音とヒグラシの声を聞きながら、しばしの眠りについたのであった。



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2008/09/16(火) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

ただ混沌

彼は言った。

「本音と建前じゃなくて、

本音が建前で、

建前が本音。

この混沌を僕はどうしていったらいいのだろう?」

昨日建前と思われるもので、器用に振舞った僕も、

明日本音と思われるもので、不器用にしか振舞えない僕も、

きっと同じこと。

この混沌を僕はどうしていったらいいのだろう?

君には本当に伝えたいことがありますか?

それを本当だと思わしめているものは何ですか?

どうか彼と僕に教えてくれませんか?



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2008/09/07(日) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

一瞬の邂逅と僕の世界の永遠

今日の仕事はよかった。長引いた分だけの成果はあった。
時計を見ると、針は午後10時56分を指している。時間を認識するとともに、急激に空腹を覚え始めた。

物事がうまくいったときの、あのよく分からないテンションに合わせて、僕は少しだけアクセルを強める。
カーステレオからはビートルズの『Oh! Darling』、外に並ぶ橙色の街灯は自分の帰りを待っている誰かがあつらえた凱旋道のようであった。

真っ暗な家に明かりをつけ、食事をとり、床につく。

カーステレオの音も、橙色の光もない、ただカーテンの隙間から夜の光がいたずらに入り込むだけの世界。
遠くに汽笛の音が聞こえた。終電後の貨物列車の汽笛だろう。

空に浮かんだ線路、月に向かって走る銀河鉄道、僕はその行く先を知らない。

ふとそんなイメージを脳裏に浮かべた。
チケットはいくらなのかな?まだ席は空いているのかな?隣の人と仲良くなれるかな?
そんなことを思いながら、眠りにつく。

そしてまた、朝が来るのだ。



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2008/09/06(土) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

薄い桃色の黄昏

いつもの階段、いつもの改札、いつものプラットホーム。
違うのは、出発の時間と行き先、そしてもうこの場所へは戻って来ないということ。

時計は18時38分を指している。晩夏。

到着した電車は乾いた音を立ててドアを開ける。
そして無機質に僕を迎え入れる。
重い荷物と汗でへばりついたシャツが、いいようのない夏の不快な疲労を作り出していた。

窓の外の黄昏。薄暗さに映える建物の明かり。
そこには桃色のヴェールがかかっていた。
ヴェールと言うにはあまりに薄く儚く、しかし何もないというにはあまりに美しい桃色。
もうすぐこことは違う場所を照らしにいく太陽が残した、いたずらな桃色。

きっと僕は今夜、夜行列車の中で、この薄い桃色の黄昏を思い出すだろう。
そして、次の街へと揺られて行くのだ。



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2008/08/31(日) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

ただそれだけで大丈夫

その憮然とした声は、きっと電話口の君に不安を与えてしまっていただろう。
外は雨。庭にあるトタン板を撃ちつける轟音はいつの間にか止み、静かに、そして寂しく、その雨は降り続いていた。

僕の声を聞いた君は、変わらなかった。
何も変わらずに、僕に聞き返したのである。


「大丈夫?」


僕は、少しだけ笑った。そして答えた。


「大丈夫だよ。」


そして、電話を切った。

僕は、穏やかな雨の音を聴きながら、机の上に置いてあった本を手に取り直し、ゆっくりと座った。



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2008/08/28(木) | ワーク | トラックバック(0) | コメント(0)

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